僕、タラ コウタロウは、現在に至るまで、2つの会社で働きました。
1つ目の会社から、2つ目の会社に仕事が決まるまで、2ヶ月ほど、
いわゆるフリーターでした。
そのとき、僕を襲った不安、、、
そして、今回、10年勤めた会社から独立開業する際にも、問題が・・・
トレーニングコーチではありますが、世の中の働く方のヒントに
きっとなるはずです。
一度目の転職のときに感じた不安
大学院を卒業して、すぐ、静岡・沼津市のパーソナルトレーニングジムで
働き出しました。
一般の方を対象に、小学生から、高齢者まで幅広くトレーニング指導を
行ってきました。
2年間働き、色々と勉強できたことが多かったのですが、
やはり、この仕事をはじめた時に掲げた目標である、プロアスリートの
サポートをするという目標を達成したいという気持ちが強くなり、
転職を決意しました。
しかし、転職を決意したとはいえ、べつに次の仕事が
決まっていた訳ではなく、0から転職先を探す
という状況でした。
そのため、トレーニングコーチ、トレーナーの方なら、
一度は目にしたことのある、
求人情報サイト ATACK NETをひたすら検索しました。
不思議なことに、プロチームに履歴書を送るというような行動を
とっていないのですが、おそらく、プロチームで働くには実績がないと、
自分で勝手に判断していたのだと思います。
ということで、ATACK NETで見つけた2つの会社とコンタクト。
1つ目は、社会人ラグビーチームへの派遣という仕事で、履歴書を
送ったりしたのですが、良い返事はもらえず・・・。
そして、もう一つが、2020年5月末まで働くことになった、
株式会社ドームのドームアスリートハウスでした。
実は、僕、ドームのことは、テーピングの会社くらいしか知らず、
アンダーアーマーのことも、当時、ジェネラルマネージャーだった
友岡和彦さんのことも、ほぼ知らなかったのです。
そういう状況で、アスリートのサポートができるという情報だけで
エントリーした、という訳です。
エントリーシートなるものの作成も、前職では行っておらず、はじめて。
難しいだろうと思ってはいましたが、メールで、運よく、面接の
ステップまで進める、という連絡を頂きました。
初回の面接は、上記した友岡さんと、N部長。
緊張しながらも、当たり障りなく、返答。
エントリーしたのが、確か、1月頃。
1回目の面接が、確か、3月ごろ。
3月末で、前職を退職したこともあり、上記したように、
フリーター決定でした。
そして、何のあてもなく、とりあえず、沼津から、上京。
(前職の寮に住んでいたこともあり・・・)
4月からの仕事がないので、ひとまず、家賃などを払うためにも
働かないと!ということで、体を動かしながら、ある程度、稼げる!
ということで、引っ越しのサカイで、日雇いのバイトを始めました。
引越し屋はかなりの体育会系で、始めたばかりのときは、
かなり怒られ、イラッとしながらも、働きました。
(結局、約2ヶ月間、働きました笑)
徐々に仕事にもなれてきましたが、自分がやりたいことは、
引越し屋ではありません。
徐々に焦りと共に、不安が襲ってきました。
まだ、ドームも、面接の段階であり、就職が決まっている訳でもなく、
かといって、別の仕事を探すのもできない状況もあり、
益々、不安は大きくなりました。
このとき感じた不安は、
将来に対する漠然としたもの。
金銭的な不安に加え、親にも無理言って、勉強させてもらい、
自分の意思で、プロアスリートへのサポート目標に転職を
決意したものの、このままでは、目標達成できないのでは?
というものでした。
このときに、こうした漠然とした不安を、一つずつ丁寧に解決して
行けば、もっと違った感情であったように思いますが、、、。
これも、”知らない”ということが一番の大きな原因だと思います。
不安に対する対処法をきちんと理解し、そして、対応できれば、
こう言ったことは生じなかったと、思いますし、
加えて、自分が決意したにも関わらず、覚悟が決まっていなかった
のだと、今、振り返ると思います。
10年間勤務し、独立、、、そして
運よく、ドームへの就職が決まり、プロアスリートへのトレーニング
指導も行うことができました。
そして、結果的に10年間、ドームアスリートハウスに勤務しました。
この業界では珍しいというか、いわゆるサラリーマントレーナー、
トレーニングコーチとしての仕事でした。
そのため、毎日の仕事があって当たり前。
会社から与えられた役割に応じて、仕事を日々行い、必要に応じて、
新たなプロジェクトを進める、、、といった感じでした。
そして、退職して改めて感じたことは、
仕事がある。ということが、
いかに精神的な安心感をもたらしているということ。
これ、おそらく、僕ら世代よりも、僕らの親世代が一層感じるのでは
ないかと個人的には思っています。
つまり、毎日、会社勤めの生活の人間にとって、仕事は目の前に
あることが当たり前。
その仕事をしっかりと遂行し、会社に評価され、収入を得る。
というサイクルが当たり前という感覚であるということ。
だからこそ、会社のためにという自己犠牲を厭わない、ということ
なのだと思います。
僕は、このことを、退職してから、1ヶ月間で強く実感しました。
それは、なぜか?というと、
自分のイメージ通りにことが進まなかったこともあり、
これまでよりも、時間経過が遅く、その状況にストレスを
抱えてしまったためです。
すぐにでも何かを始めたい、
すぐにでも仕事を始めたい、
と考えていた自分にとって、この1ヶ月間の時間軸は
非常に苦しく感じていました。
この原因は何なのか?
これこそが、
”仕事があるという安心感の欠如”
なのだと思います。
でも、この考え自体を変えない限り、
独立して仕事をしていくことは
できないんですよね・・・。
仕事は作るものであるという認識へ
上記してきたように、僕が感じたストレスは、結局は、
”仕事はあって当たり前”という認識に基づくものでした。
10年以上、会社勤めにより、仕事は降ってくるもの、という感覚で
いたことが、大きな原因です。
しかし、起業した瞬間から、その字の如く、
”業を起こさない”といけないのです。
そんなの当たり前じゃないか!起業したんだから・・・。
と言われそうですが、その簡単なことも、僕は認識できてなかったのです。
自分で仕事を作り出すには、
それなりに、時間もかかります。
時間をかけて作っても、それが売れなければ、意味がない。
【売れる=求められている】
ということだからこそ、売り上げという数字で、評価がすぐに
下されるわけです。
そこで、得た教訓は、
完成を待たない。ということです。
完成を待たない、、、とは?
上記したように、完成を目指して作り込んだとしても、それが売れないと、
全く意味がないのです。
必要とされてない訳だから。
だからこそ、完成を待たないで、できるだけ早くリリースすること。
もちろん、お客さんに迷惑をかけることもあるかもしれないですが、
走りながら、作っていくということは、確実に必要な能力だと
気づかされました。
間違いやミスは、どんどん良い方向へ改善していけばいい。
でも、間違いやミスは、リリースしなければ、気づくことはできない。
だから、たくさん、ミスして、あーでもない、こーでもないと、
試行錯誤を繰り返す必要があるのだと思います。
これに気づくのに、結構時間がかかりました。
ドームアスリートハウスに勤務していた最後の2年くらいで、
このことに気づいて、とにかくやってみる、リリースしてみる、
という姿勢になれたように思います。
良いものを作り上げたいけど、完成って、ないのかもしれないなと
色々な経験を通じて感じました。
まとめ
ここまで長々と書いてきましたが、これが、僕自身が、過去、未来に不安を感じ、どうすればいいのか?と色々と考えなが、現時点で辿り着いた、一つの考えです。
多くの人が、今を生きる中で、
将来の不安を漠然と感じたり、
現状を打破したいと思っていながらも、行動できていないように思います。
そういう人たちに少しでも、考えるヒントや生きるヒントとして
与えることができればと思います。
- 不安の原因は何か、探すこと
- ”知る”ということを徹底すること
- 仕事は自ら作ること
- 完成を待たず、できるだけ早くリリース
- たくさんの失敗から学ぶこと
最後に
私、今年で、38歳になります。
おそらく、トレーニングコーチという業界においては、それなりの
経験をしてきた一人であると自負しております。
おそらく、これからのキャリア設計に不安を感じていたり、
または、学生の方が卒業後、どういった仕事に着くべきなのか?
といった悩みがあるかもしれません。
学校に、実際に、自分でトレーニングコーチやトレーナーとして
生計を立てた先生がいれば、問題ないですが、多くの先生方が、
教職という立場のみで生計を立てた方だと思います。
そのため、”稼ぐ” ”生計を立てる”ということに対しての教育や
アドバイスが具体的でなかったり、もしくは、現実からはかけ離れて
いる可能性もあります。
そういった方のために、少しでも役立つことができればと思い、
僕自身の経験を踏まえてのサービスも行っています。
気になる方は、ぜひ、こちらをご覧いただき、ご質問頂ければと思います。
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