将来への不安は誰しもが抱えるものです。しかし、その不安に押しつぶされるのではなく、人生を積極的に生きる選択をすることで、驚くほど豊かな日々が訪れるかもしれません。僕自身、かつては将来への不安に囚われていましたが、あるとき、その不安とどう向き合うかを考え直しました。この記事では、そんな僕がどのように働き方や生き方を見つめ直し、前向きに変わり、今の生き方を選択した経緯についてお話しします。この記事を読んで、同じような悩みを抱えているトレーニング指導者の方が、少しでも心が軽くなり、前向きな一歩を踏み出せることを願っています。
自己実現のための第一歩:考える前にやってみる!
タラの人生を振り返る:タラヒストリー
僕がこの仕事を本格的に目指し始めたのは2004年でした。それから20年近くが経ちました。その中で、何者かになるべく必死でもがいていた時代から、今に至るまでを振り返りつつ、これを読んでいる方に「タラにもそんな時代があったのか…。じゃあ、自分ももっとできるかも!」と思ってもらえると嬉しいです。一緒に振り返っていきましょう(笑)
立志編(20代前半):日の丸をつけて仕事がしたい!
当時の僕の想いは、「トップアスリートをサポートし、いつかは日の丸を背負って仕事をしたい」というものでした。おそらく、多くの人が同じような初期衝動でトレーニング指導者を目指したのではないでしょうか。
その熱い気持ちのまま、僕は大学院へ進学し、専門的な学びを始めました。しかし、そこで初めて専門分野に取り組んだこともあり、周囲との差を強く感じる日々を送りました。
卒業後、静岡で一般の方々にトレーニング指導を行うトレーニングジムに就職しましたが、プロアスリートのサポートや、日の丸を背負うという夢からは遠ざかっていることに気付き、「もう無理なのかもしれない」と感じるようになりました。それでも、自分の想いを抑えきれず、可能性を信じて、トップアスリートのサポートができる環境を求めて上京を決意しました。
この時に強く感じたのは、「自分の可能性を信じて行動することの重要さ」です。もしこの時、初期衝動に従って行動していなければ、今の自分は存在していなかったでしょう。
特にこの時期は、本来なら行動し続けるべき時期でしたが、先が見えない中で不安ばかりが募り、行動に移せない日々が続きました。しかし、リスクを冒してでも行動すれば、何かが変わります。この経験から学んだのは、「まずはやってみる」という姿勢の大切さです。若い時こそ、初期衝動を大切にして行動を起こすことが必要だと改めて感じました。(もっとも、行動に年齢は関係ないですけどね。)
自立編(20代後半-30代前半):環境を変える
上京し、トップアスリートのサポートに関わる環境に飛び込んだものの、すぐに信頼を得るのは非常に難しいと実感しました。トップアスリートを支えるには長い時間が必要で、2段飛ばしで成功することはできませんでした。結局、日々コツコツと積み重ね、試行錯誤を繰り返しながらトップアスリートに接していました。
そんなとき、僕の人生を変える大きなオファーが舞い込んできました。それはアルペンスキーヤーの皆川賢太郎選手に1年間帯同し、ワールドカップを戦い抜き、オリンピック出場を目指すというものでした。これまで皆川選手にトレーニング指導をしたことはありませんでしたが、「真面目で一生懸命に取り組んでいる」という理由で推薦されました。
この経験は、日々コツコツと積み上げてきたことが見られ、少しずつ信用を築いてきた結果だと思います。そして、1年間、世界を転戦しながらワールドクラスの競技を間近で見て感じることができたことは、かけがえのない財産となりました。
この経験から、「環境を変えること」が自分を一層成長させると実感しました。その後、東京に戻り仕事を続けていましたが、沖縄の支店を任される話があった際、迷いなくそのオファーを受け入れました。この決断は、若い頃に感じた「行動することの大切さ」に加え、「環境を変えることの重要性」を強く認識した結果でした。
この頃から、僕の目標は「トップアスリートのサポート」から「人間としての成長」に変わり始めました。家族の存在もその変化に大きく影響を与えました。結婚し、子どもが生まれたことで、自己実現を最優先にしてきた僕の生活は、家族との時間とのバランスを取ることが課題となりました。
毎日朝から晩まで働き、子どもの寝顔しか見れない日々。ワンオペ育児に疲れ切った妻との関係もギスギスしていきました。そんな日常を過ごす中で、「本当にこのままでいいのか?」と自問自答するようになりました。自己実現のために家族に負担をかけることに、意味を見出せなくなったのです。
この時期、僕の人生の価値基準が「自分だけの人生」から「家族と共に生きる人生」へと変わり、そして僕は大きな決断をしました。それが、家族を中心に考えた働き方の選択としての独立開業です。
独立開業編(30代後半-):家族を中心に考えた働き方の選択
「家族みんなで夕食を食べる!」これが、僕が独立開業を決断した最大の理由です。それは、自己実現を追求するあまり、家族に負担をかける生活から抜け出すためでした。
僕たち家族は沖縄を離れ、妻の実家がある熊本へ引っ越しました。そして、僕たち夫婦は「家族で夕食を囲む」という大きな目的のために、熊本でそれぞれ独立開業しました。
もちろん、簡単な道ではありませんでした。お金もコネもない状況で、子ども3人と共に新しい生活を始めたので、周囲の両親や友人たちは本当に心配してくれました。
しかし、当時の僕たちには「自分たちで決めたからにはやるしかない」という強い決意しかありませんでした。その中で、「自分がやりたいこと、楽しいと思えることで、どうすれば時間と経済的余裕を得られるのか?」を真剣に考えました。
正直、朝から晩まで働けば独立開業でもある程度の経済的安定は得られると考えていました。しかし、それでは「家族みんなで夕食を食べる」という目標は達成できず、独立開業の意味がなくなります。
だからこそ、その難題に挑戦していくことが、結果的に自分の人生をより豊かにしてくれるのだと強く感じています。僕と同じように仕事一筋だった人たちが、自分の人生を見つめ直すとき、僕の生き方や働き方も一つの選択肢だと伝えたいと思います。
そして、未来を担う子どもたちが「家族っていいな」「人生って楽しいな」と思ってくれたら、さらに嬉しいことです。
こうして今の自分を振り返ると、20代の頃の僕には到底想像できなかった未来を生きていることに驚きます。人生の価値基準は、自分自身の成長と共に変わっていくものだと実感しています。
一度きりの人生ですが、20~30代の頃に必死に目標に向かって挑戦してきたからこそ、40代を迎えた今、自分がこのような生き方を選べるようになったのだと思います。
まとめ
この記事では、僕の20年近いキャリアを振り返り、どのように価値観や目標が変化してきたのかを記録しています。
キャリアのスタートは、「トップアスリートをサポートし、日の丸を背負いたい」という強い思いから始まりました。大学院で専門知識を学びながら、現実とのギャップに直面しつつも、上京して挑戦を続けました。上京後は環境を変え続けることで成長を実感し、特にアルペンスキーヤーの皆川賢太郎選手との経験が人生を大きく変える契機となりました。
30代に入ると、価値観が「自己実現」から「家族と共に生きる人生」へとシフトしました。家族との時間を最優先に考え、沖縄から熊本への引っ越しと独立開業という大きな決断をしました。家族と夕食を囲むというシンプルながら大切な目標を実現するために困難を乗り越えた結果、人生が豊かになり、自分の生き方に満足しています。
この記事を通じて、あなたに「自分もできるかもしれない」という前向きな気持ちを抱いてもらい、人生の選択肢を広げるきっかけとなることを願っています。人生の価値基準は成長とともに変わるものであり、一度きりの人生を充実させるためには、行動し続け、自ら環境を変えていくことが非常に重要だというメッセージをお伝えしたいと思います。
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